� その時の競技数は陸上競技、自転車競技(ロード)、水泳(競泳)、水泳(飛び込み)、サッカー、射撃(ライフル)、テニスの7競技でした。9か国(ベルギー、フランス、イギリス、ハンガリー、イタリア、ラトビア、オランダ、ポーランド、ルーマニア)から148人の選手が参加しました。2001年に国際オリンピック委員会から「デフリンピック」の名称を使うことが認められました。《出典》「≪改訂版≫東京2025デフリンピック紹介パンフレット(2025年4月発行)」デフリンピック(Deaflympics)とは、デフ+オリンピックのこと。デフ(Deaf)とは、英語で「耳がきこえない」という意味です。デフリンピックは国際的な「きこえない・きこえにくい人のためのオリンピック」なのです。デフリンピックは国際ろう者スポーツ委員会(ICSD)が主催し、オリンピックと同じように4年に一度、夏季大会と冬季大会をそれぞれ開催しています。大会の運営はきこえない当事者団体が中心であることや、国際手話が大会のコミュニケーション手段として使われていることもデフリンピックの特徴です。自身もきこえない当事者であり、フランスろう者スポーツ連盟の会長だったウジェーヌ・ルーベンス-アルケーは、オリンピックのようなきこえない・きこえにくい選手のための国際スポーツ大会をつくろうと1924年にフランス・パリで開催しました。最初は『国際サイレント大会(International Silent Games)』と呼ばれていました。これが、デフリンピックの原点です。当時は、きこえない人は知的にも身体的にも劣っているとみなされていた時代でした。自動車整備士であり、自転車競技選手でもあったアルケーがデフリンピックを提唱したきっかけは、国際スポーツ大会をきこえない当事者の手で開催し、運営することで、きこえない人の社会的地位向上や手話言語の理解促進を図り、社会を変えようとしたのです。TTookkyyoo2255tthhSSuummmmeerr22002255DDeeaaflflyymmppiiccss●デフリンピックについてデフリンピックの歴史
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